学習会「森林について学んでみよう!」に参加しました

学習会
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太田猛彦先生日時:3月13日(木)13:30〜16:00
場所:武蔵浦和コミュニティセンター・第7集会室
主催:さいたま市消費者団体連絡会
講師:太田 猛彦 さん(東京大学名誉教授)

講師の太田猛彦先生は、長年にわたって森林管理・自然環境保全・自然災害防止などに取り組んできました。また、数多くの本を書いて小学生から専門家まで、多くの人に森林についての正しい知識を与えてくださっています。

森林飽和今回の学習会では先生の「森林飽和」(NHKブックス)に添ってお話をうかがいました。

ところで森林と言えばなんとなく「昔は山々に木が生い茂り青々としていた。それが近代になって、無計画な伐採により失われてしまった。これからは豊かな里山を守っていこう!」というイメージを持っていませんか?実は反対です。

まずはこの絵をごらんください。有名な歌川広重の「東海道五十三次 日坂 佐夜の中山」です。
日坂
背後の山肌に注目!!なんだかあんまり木がありません。これは広重のほどこしたデフォルメでしょうか。いえいえ、この頃の日本の山はみんなはげ山だったのです。そして現在、森には伐採に最適な木がたくさんあるのです。

海岸林について

海岸林とは、防風・防霧・潮害防備・飛砂を目的として海岸にマツを植えた保安林のことです。ほとんどが人工林で、特に飛砂を防ぐために造られました。

3年前の東日本大震災で、津波はこの海岸林を越えて陸地へ押し寄せました。海岸林は一瞬にしてなぎ倒されましたが、それでも船などの漂流物を捕捉すること(=減災)ができました。

その後、再び海岸林を造り直しています。海岸林には養分のない砂地でも生育するマツを地下水面が2m以上になるよう植えます。根返り(ねがえり=根が地上に浮き上がる)や流失しないよう正しい技術で植えなければなりません。

昔は防砂のために造られた海岸林ですが、今は砂の被害(砂でいろいろなものが埋まってしまう)は多くありません。それはなぜか?海の砂から山へと話は移っていきます。

はげ山について

海から押し寄せる砂はどこから来たのでしょうか。それは山から来るのです。山崩れが起きて土砂が川を流れて海へ運ばれ、それが波によって打ち上げられます。

話は江戸時代に遡ります。当時の日本の人口は3,000万人。これは世界人口の20人に1人は日本人だった計算です。この稲作農耕社会を支えていたのが「里地・里山システム」で、自給自足の閉鎖社会でした。資源はすべて森林あるので、農用林・生活林が必要となりましたが、その資源には限度がありました。

資源を森林に求めた結果、山地は荒廃していきました。はげ山は雨が降るたびに地表面に浸食が起きました。当時の日本の山にはほとんど木がなく、川は流れた土砂でいっぱいでした。つまり、里山は荒廃していたのです。

治水三法

明治29年・30年に河川法・砂防法・森林法が相次いで制定されました。これ以降、砂防事業と治山事業に分かれて山地の保全が行われ、はげ山(荒廃山地)も徐々に復旧していきました。つまり青々とした森が日本中で見られるようになったのはほんの50年前からということです。

現代の森林の荒廃

洪水緩和機能の可否こうして回復したはずの森林ですが、再びの荒廃が懸念されています。 それは、
1.広葉樹や竹林の繁茂により生態系が変わり、人が森に入れなくなった
2.奥山の森林保全が不十分(登山・観光・開発・シカの食害・伐採・大気汚染)
3.人工林が手入れされていない(間伐の遅れなど)
などの質的荒廃です。

山の木々には洪水を防ぐ機能があると言われますが、すべての森が有する機能ではありません。木の根元に落ち葉や下草がなければ洪水や表面浸食が発生します。逆に木を伐採してしまっていても、落ち葉や下草が残っていれば洪水を緩和することができます。

また、伐採時期が遅れ木に虫がついて枯れることもあります。老齢化した里山が奥山化して、本来奥山に住む熊やシカが里山まで下りてくることもあります。

健全な森林へ

この60年で森林の量は2.5倍に増加しました。今、日本の森林は400年ぶりに緑を回復しています。むしろ木が増えすぎて水の消費が増え、川の水が減っています。人々は誤った情報をもとにすべての森の木を守ろうとしていますが、もっと木材として使って良い時期なのです。

木を切っても森を壊さないよう「木のトレーサビリティ」とも言える「FSC運動」が進められています。私たち消費者は確かな認証を得た木材を買うことで森林の正しい未来に貢献することができるのだと思います。